and PLACE(アンドプレイス)代表の髙野哲矢です。前回まで「おばまにあ」2回連続で書かせて頂きましたが、今回はちょっと別の話でも。都市・地域の今と未来のことを考えるときに、自分でも「あの本を振り返って読んでおこう」と思った本の一部を少しだけ紹介しようかと思います。
2年前に東京から小浜市に引っ越してきて、身近な空間・環境・時間など生活ががらりと変わり、自分の中で少し鈍ってしまっている感覚と、東京にいたままでは獲得しえなかったであろう感覚をもう少し昇華していきたいと思うこの頃。ここ5年ちょっとライフワークとして関わっている活動の中で議論している「共通言語」ということや、理事をしているNPOでの全国各地の理事の皆さんと議論する中で、改めて頭の整理のためにも「まちを捉える」マインドを少し整えたいと思った。2冊の本から、ほんの一部引用したい。
あるパタン・ランゲージ
社会の全員が町づくりや建物づくりに参加し、全員で分かち合う共通のパタン・ランゲージで建物をつくり、しかもその共通言語そのものに生命がない限り、生き生きとした町や建物は、けっして生まれない。このランゲージの成分は、パタンと呼ばれる実体であり、1つ1つが独立した存在である。
[環境設計の手引き]パタン・ランゲージ(C・アレグザンダー著、平田翰那訳、1984、鹿島出版会)
健全な社会には、たとえ共有され、類似していても、人間の数だけパタン・ランゲージが存在するであろう。
パタン・ランゲージは、網目のように絡み合ったネットワーク構造になっている。しかし、私たちが言語(ランゲージ)を使うときは、つねに一連のつながり(シーケンス)として捕える。
これまで以上に「生き生きした町」であることの重要性が増している。まちによってさまざまなパタンが存在する中で、全体性と部分性をどう融和させるか、部分の独立性を認め(許容し)つつ全体的に調和している状態とは、どのような姿なのか。重要なのは共通言語を紡ぎだし、生命あるものとすること。そのためには使われながら変化していける言語となっていることが大切なのかなと。
部分からの半熟的空間計画
各部分空間をややルーズ気味に創り、それらを揃えないでつなぎ合わせながら、明確な形態のある終極のゴールをもたず、そのつど小ゴール空間を修正していく。そして完成された形態は持たないままで、調和のとれた群形態をソフトに創り出すのである。
庭園から都市へ シークエンスの日本(材野博司、1997、鹿島出版会)
このような空間集合体は、揃っていないのが本来の姿であるために、各部分空間の意志を自由に発揮しやすくなるものであり、その結果、個性豊かな、生き生きとした空間群による、変化性の高い都市空間の形成が期待される。
異なる個々の空間が、隣接部において明確な境界をもたず、境界を重ねながら、時に段階的に、またソフトに変化してゆく状況に、私は日本の空間のシークエンスの豊かさを見る。
パタン・ランゲージでも書いてあることと重なるが、「生き生きとした」空間群、それらがソフトに変化していく状況(シークエンス)を生み出すことが求められている。唯一の正解はないし、様々な正解がある中で個々の空間のシーンと連続したシークエンスをどれだけ豊かにしていけるか。まずはそのシークエンスを探り当てることから始めなくてはならない。
ポイントはシークエンスの構成要素をきめ細かく観察すること、発見すること、ポジティブに空間を捉えることが大切だと思う。晴れた日には、まちなかを歩きたい。